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ブログ再開、第一弾。 2014年9月、アメリカ歯周病学会に行って来ました。 ハードルの高いアメリカ歯周病学会 会員になってもう7年目。 今年はサンフランシスコでの開催です。最新、最先端の情報と、新しい医療器具を今年も収穫してきました。 常に前進、最先端で有り続けます! #
by saradental
| 2014-10-20 13:01
| 仕事
死なないと本来の生命体が自由にならないと思う。
加古治子と言う肉体に制御されていたエネルギーは 今、自由を得て私の周りにいるように思えてならない。 離脱して初めてなし得る力なのだろう。 私も今、加古美裕の肉体内に限局されて存在している。 この物質的肉体内で果たせる限界をなし得るのが 今なし得る事なのだろう。 随分見えない力、存在を感じるようになったし 直感が生きて来た。 もっと自由になりたい。 #
by saradental
| 2013-12-25 00:11
母の夢を初めてみた。実にリアルに。
左の洞窟から出て来た(退院した)母は、僕の後ろから、両手で頬を包んでくれた。 その手は膨よかで、温かい。表情も声も、以前の母のまま。 その場の雰囲気は圧倒的に変わり明るくなる。 僕の後ろにいた父は、笑顔が崩れ、声も裏返り、本当に嬉しそうだ。 今日はクリスマス。これは母のプレゼントか、復活か。 生前、母の話や、考え、キリスト教の教えを聞いておけばよかったと思う。 しかし、私にとって圧倒的に有利なのは、「母の子」という事だ。 「もう、自分の中に持っているわよ。」って言われた。 『聖母治子の子』というと私はキリストか!! #
by saradental
| 2012-12-25 08:55
母が最期に伝えようとしたもの、残していったものは「聖書」かもしれない。
生存中は何も興味のなかった聖書。 マタイによる福音書 「思い煩うな」 私が悩んでいたときに母が教えてくれた教えだ。 このマタイによる福音書の中で「山上の説教」第7章が一番おもしろい。 神と金 私に言っているような物だ。 そういえば、母は生前お金にまつわる卑しい話を一切しなかった。 またこういう話を嫌った。何も語らなかったが、こんな教えからかもしれない。 母の死で私は目に見えない不思議な世界を確信した。 母よ、僕の生き方を見ていてくれ。 #
by saradental
| 2012-07-26 20:41
ついに逝ってしまった。心の準備はしていたけどやはり辛い。
治る見込みのない病気に母も苦しんだであろう。 「まだもう少し」という人間としての期待と死への恐怖。 どれだけ母は耐えたことであろう。 「もう死にたい」苦悩の果てにたどりついた答えなのであろうが 周りにいる私たちにとってはとてもつらかった。 2011年1月10日(月)夜8時 母の魂が肉体から解放された時だ。 私は今回の事で、魂、未知なる世界を確信した。 沖縄にいた私を待った母。親族一同を迎えた母。 主治医でお世話になった龍華先生にお礼をいうために待った母。 そして病室を一時期外出した、兄、幸ちゃん、菜甫子、万里子、そして朝子を待った母。 私の仕事を考え休診することなく通夜、告別式を済ませた母。 病院ベットサイドで付きそそう父を気遣い、夜8時に逝った母。 すべてが偶然であろうか?ありえない。 すべて考えられ、どこかで見ながら進められたことだ。 私は確信した。この大いなるものの存在を。 そして私がこの世に何をしに来たのかも悟った。 私を生んでくれた母 治子。ありがとう。そしてさようなら。 #
by saradental
| 2012-07-25 22:30
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